私は以前、7泊10日でモロッコに旅行に行きました。
モロッコは、サハラ砂漠や青の街シャウエンで有名なアフリカの国です。
行った時は、モロッコ人のツアーガイドさん二人に滞在中ずっとお世話になりました。
モロッコ人二人を見て、素晴らしいと思ったこと
その二人を見ていてシンプルにすごいな!と思ったこと。
それは、二人とも、私たちが日本人同士で話す日本語を聞いて、真似して、1週間くらいのツアー中に結構日本語を覚えていたことです。
彼らはとにかく聞こえてくる音を真似して声を出してみます。
音を真似して喋っていると、私たち日本人が意味を説明したり、日本語での会話の練習を始めたりするので、さらに吸収できるようでした。
そして、いつも世界中からくるお客の相手をするうち、10ヶ国語くらい話せるようになったと話してくれました。
(イングリッシュ、フレンチ、スパニッシュ、チャイニーズ…と指折り数えながら喋れる言語を教えてくれた)
彼らの日常会話はベルベル語(砂漠の民が話すことば)とアラビア語を話すようでしたが、そもそも生活圏に言語が2つあるのもすごい。
モロッコは、海を挟んですぐ向こう側がヨーロッパなので、一年中ヨーロッパから旅行者が来て、1ヶ月くらいバカンスを楽しんでいくのだそうです。
それで、よくお客が来る国の言葉は、なんとなく世間話できるくらいには身についているんですね。
思い込みや苦手意識がないと、行動はシンプルになる
彼らの何がすごいって、聞こえてきた日本語の音をそのまま真似して、大声で楽しそうに喋っていて、そこに何にも苦手意識がないこと。
私だったら、同じことできないなと思ったのです。
実際、彼らがしゃべているベルベル語を真似してはみるけど、もっとシンプルじゃない雰囲気というか。
知らない国の言葉が聞こえてきたら、単に音の連続とシンプルにきくことがまずできないなと思ったのです。
知らない国の言葉というだけで、身構えて苦手意識が立ちふさがって、メロディみたいに音を捉えることすら脳が拒否しちゃうというか。
そういう思い込みがあるせいで、別に体験がないだけでできなくはないことが、脳みその先回りによってできなくなっちゃう現象を自分の体内に感じました。
メンタルブロックともいいますね。
しかも思い出したのですが、この苦手意識、日本国内でも強力に発揮してました、私。笑
以前仙台に住んでいた時、友達のおばあちゃんの方言がかなりきつくて、何言っているか意味不明で、ずっと曖昧に笑うしかできなかったのを思い出しました…笑
できないことは恥ずかしいことじゃない
大人になると改めて、できないことは恥ずかしいことじゃない、なんて自分に言い聞かせる機会は減る気がします。
でも、めっちゃ重要です、これ。
最近今更ながら、痛感しています。
できないことは、できないですから笑。(悲しいけど)
でも、今できなくても、チャレンジして、どうしたらできるようになるか、覚えることができる。
いつか、できるように練習することができる。
このことを忘れたまま、自分の身に降りかかった初めてのことができないことを恥じるのは、すごく受け身な気がするのです。
やってみよう、と思える自分でいよう
無知の知、とはよくいったもので、苦手意識があると気づいたことがめっちゃ目から鱗でした。
この苦手意識、いらないな。って思ったら。
チャンスですね!
苦手意識を一回ぽいっとして、よし、やってみようって思える自分でいようと思います^^