私は以前、モロッコに旅行に行ったことがあります。
そこで、生まれてからずっと日本で生きてきた自分の常識が当たり前でないことを知りました。
ここでは、日本で常識とされることが世界のどこかでは常識ではないという私の驚きを書いてみます。
自分の誕生日を知らない
私が現地滞在中にお世話になったのは、海外から旅行に来るツーリスト相手のツアーガイドのモロッコ人の青年2人でした。
彼らに拙い英語で年齢を尋ねると、20歳くらい、30歳くらいという回答が返ってきて驚きました。
自分の年齢をだいたいで把握しているのが大カルチャーショックでした。
(そんなことある…!?)
なぜ年齢がだいたいになるかというと、そもそも彼らは自分の誕生日を知りません。
当然、自分の両親の年齢も知りません。本人が知らないのだから当たり前ですね(!)。
そのような文化なのです。
他人の年齢も気にしない
正確な自分の年齢を知らない人が、他人の年齢を気にしないことはごく自然なことに感じられました。
もとからそうだから、「年の差婚」という言葉もきっと生まれないんだろうな。
そして、当時20代後半だった私は、当然のように子供に見られるという笑。
本当に日本人は海外では幼く見られますね笑。
相手の立場や、肩書きを気にしない
これも、よく外国での就職の話とかで言われますね。
あなたは何ができますか?何をする人ですか?
日本と違い、どこ大学出身かとか、前職の会社とかポストに重きが置かれないというやつ。
自分と相手のコミュニケーションの中で、質問をして相手のことを知っていくというシンプルさが気持ち良い。
自分が不要な偏見とか、勝手なフィルターをたくさん持っていつも物事を見ていることを痛感しました。
彼らは、年齢とかいろんなものを必要以上に気にせず、違いを持った人たちと本当の意味で共存しているのかもしれない。
今日が何年の何月何日か、知らないで生活する
誕生日を知らないことがナチュラルな感覚ですから、カレンダーの意識がそもそもないに等しいというようなことを聞きました。
今日が何年の何月何日なのかを気にしすぎないライフスタイルなのです。
自分が日本で暮らすのと感覚が違いすぎて、執拗に毎日分刻みで何かに追われるようにキリキリ過ごし、気付いたら半年、1年と時間が過ぎているに疑問を持ったのを覚えています。
もちろん仕事の時間とか、暮らしのルーティンはあるでしょう。ですが、広大な砂漠の前では、その気持ちもわかるのです。
ただ、これはサハラに暮らしている砂漠の民の話みたいです。
モロッコの首都、カサブランカは都会で、カサブランカで働く人たちは日本であくせく働く人たちのように分刻みでストレスフルな生活をしているそうです。
時間を気にしない
そして、もう時間を気にしないのも当たり前です。
これは、いろいろな国で言われることではないでしょうか。
沖縄も似たようなイメージがあります^^
別な機会にイタリア、タイに行った時も、街中の時計は大抵とんでもない時間を指していたし、電車もバスも時刻通りに来ることの方が珍しいし遅れていても一切アナウンスなんかない。
日本は電車が2分遅れるだけでも丁寧なアナウンスと謝罪があり、もう日本が特殊にすら感じられます。
昔だったら、正確に時を刻む時計がなかったなどの話になると思いますが、今は多くの人がスマホを持ち、現在時刻を見られます。もとから時間を気にしない暮らしをしている人たちにとっては、スマホがあっても自分のペースで生きられるものなのかもしれません。
そして、ゆったりと砂漠を眺めながらみんなで謎のダンス(美味しいもの食べて太陽の下で笑いあっていると、謎のダンスくらいしかやることはないのです笑)をしていたその時間の過ごし方が、日本にはない豊かさを全身で享受していて、すごく幸せを感じたのを覚えています。
またいつか、行けるかわからないけど、あの時思い切って休みを取りモロッコに旅行に行って本当に良かった!!!