読書

『寂聴先生、ありがとう。秘書の私が先生のそばで学んだこと、感じたこと』を読みました。

タイトルの通り、読んだ本がとても素敵だったので、自分の読書記録として書き留めておこうと思います。
(この本のタイトルを見た友人は、「あれ寂聴さん死んだの??」と言っていました。うーん確かにそう思われても仕方のない雰囲気のあるタイトルかも…?)

著者は瀬尾まなほさん。瀬戸内寂聴さんの秘書であり、本書出版時は30歳(歳が近く、個人的にとても親近感があります)。表紙で微笑んでいる瀬尾さんはとても美人さん。美しい容姿、出版した本はなかなかに売れて、近頃は講演会などのお仕事もされているとのこと。また、本の中には瀬尾さんの結婚エピソードも入っていて、いやはや…旦那様、うらやましい限りです!そんな魅力的な人が、寂聴さんの秘書として奮闘する様子、葛藤する様子が本に書かれていて、自分もがんばろうと思わせてくれる一冊でした(というと、とても薄っぺらく聞こえてしまう…悩)。

人とのご縁の大切さとか、自分にも、自分にしかできないことがあり、命は限られているとか、日々暮らす中でじっくり考えることがないことが、たくさん心打たれる文章で綴られていて、読んでいて身体にスルスル入ってきました。

瀬戸内寂聴さんはたくさんの不倫をした方というイメージがあるけど、瀬尾さんは本の中でそのことにも触れています。

先生は、不倫相手の妻にも、嫌われたり、憎まれたりすることがない気がする。不倫相手の子供にとっては目の敵のはずの先生が、その子どもたちと仲良くしていたりもする。その子が今は才能ある小説家になり、自分の父と母、そして父と不倫していた先生のことを書いた(井上荒野『あちらにいる鬼』。)先生はやっぱり言い表せない程の魅力があるんだ。

『寂聴先生、ありがとう。秘書の私が先生のそばで学んだこと、感じたこと』 
瀬尾まなほ著 朝日新聞出版

まずカワタには理解できない世界線すぎて驚きを隠せない。父の不倫相手と仲良くしてくれる子どもがいるのってどんな世界線なのでしょう…。でも、自分の父が母以外に愛した人が、本当に本当に素敵な人だったら、それが不倫相手だとしても仲良くできるものなのでしょうか…。そんな単純なものでもなさそうですが、瀬戸内寂聴さんの十二分すぎる魅力を語るびっくりエピソード。

「私なんか……」とあるとき言った瞬間、先生の目つきが急に変わった。
「私なんかというような子はここにはいらない。私という人間はこの世に一人しかいないのよ。たった一人の自分に対して『私なんか』なんていうのはすごく失礼。そんなこともう二度と言わないで!」と怒られた。その瞬間すごくびっくりしたけれど、それと同時にとてもうれしかった。涙が出そうなくらいうれしかった。自分のことを粗末にしたことを怒ってくれたこと、心がじんわりした。怒られてうれしかったのは、この時が最初で最後かもしれない。

『寂聴先生、ありがとう。秘書の私が先生のそばで学んだこと、感じたこと』 
瀬尾まなほ著 朝日新聞出版

この文章を読んだ時、自然と涙が出てきた文章です(最近本当に涙腺がゆるい。これが年か)。
カワタは、自分を大切にするってどういうことなんだろう、とか悩んだりしてしまうタイプなので、日々全力で何かしよう!となってもすぐうじうじしてしまったりもします。自分を責めることもよくあります(以前よりはだいぶ減ったけど)。
それでも、自分だけはどんなことがあっても大切にしてみようと思いました、とても安易だけど。安易に、いろんなことを目指してみる気持ちも大切なのかもしれません。

生まれ変わったら先生と同世代になって、一緒に踊り狂いたい。先生と同じ目線でものを見たい。先生と友達になりたい。
私はいつも、先生が今現在も生きているにかかわらず、どうしても、もっと早く出会いたかったと思ってしまう。でも今回の阿波踊りで私は少し先生に近づけた気がする。先生が大好きだった阿波踊りを自分で感じられたから。

『寂聴先生、ありがとう。秘書の私が先生のそばで学んだこと、感じたこと』 
瀬尾まなほ著 朝日新聞出版

ここまで大好きと慕う人に生きている間に出会えるということが幸せすぎる、シンプルに。そして、その人のそばにいられるのは本当に奇跡的だと思いました。奇跡という言葉は安っぽく聞こえがちだけど、本当にそう思う。
そして、瀬尾さんの書く文章が先生への想いをまっすぐ表現していて、読んで幸せな気分になる。本の中に、瀬尾さんの優しい人柄が何度も出てきますが、どおりで文章が素敵なわけだ、大納得。
私も周りにいる人たちを大切にしてみようと、また安易にも思いました。

先生のそばで働くようになってから私は、いろいろなことに気をつけるようになった。特に資格も経験もない私を秘書として置いてくれるのなら、私は全身全霊でがんばるしかないと心に決めていた。
私が何よりも気をつけたのは、「先生の嫌がることをしないこと」。
先生はさっぱりした性格だけど、時々ものすごく難しい部分もあって、何かしら怒ることや嫌がることがある。(中略)
先生は何もかも、されすぎるのが嫌な人。出張に行った先でも、なるべく早く部屋で一人になってもらうようにしている。いつまでもそばにいると、うっとおしがられると思うから。先生は基本一人が好きなんだ。

『寂聴先生、ありがとう。秘書の私が先生のそばで学んだこと、感じたこと』 
瀬尾まなほ著 朝日新聞出版

若くして著名な先生のそばで働くことになった瀬尾さんの覚悟が表現されていて、カワタも凡人ながら身が引き締まる思いがしました。そして、こういった覚悟とか、日々やらないといけないことへの向き合い方とかが、自分を大切にすることにつながるのだろうなと、しみじみ思った。

ある日の先生の一言が忘れられない。
「だいたいね、近寄ってくる人の中には私を利用したい人が、たまにいるのよ。私はそれがわかっても、利用させてあげているの」
自分の感情だけで物事を決めていた自分が、ものすごく恥ずかしくなった。深い一言であった。
私がわからない関係性がそこにはある。私が理解できない先生の懐の深さがある。私が想像もできない先生の想いがある。
先生はいつもその先を見ているんだと思う。利用されることがわかっていても、あえて利用されてあげる。私にそんなことができるのだろうか。

『寂聴先生、ありがとう。秘書の私が先生のそばで学んだこと、感じたこと』 
瀬尾まなほ著 朝日新聞出版

この言葉、とても感銘を受けました。本当に深すぎる。世の中に出て、著名になる方にもいろいろな方がいると思うけど、長く第一線で活躍する方はここまでの境地に至るのか…と気が遠くなりました。
日々必死に生きている人はたくさんいると思うのです。それが日常という人が多くいて、その多くは凡人で、凡庸に生きる。その中でも自分の命の使い方を納得できるように、少しずつでも工夫してみる、前に進んでみる。カワタはそういうのが、自分が生きている実感に近いと思うのです。ですが、類い稀なるこういった方が存在していてくれるということは、また違った希望を感じるような気もします。

昔に比べ、ここ数年で執筆のスピードも落ち、書き始めるエンジンがかかるのに時間を要するようになった。しかし、「書きたい」という先生の思いは変わらず、今も現役作家でいることに誇りをもっている。原稿の依頼をいただくと、今もうれしくて受けてしまう。今月の執筆スケジュールも知らず……。昔のようにいかないのに、昔のように出来ると思って仕事を受ける。
私は毎回はらはら。このたくさんの締め切りの仕事をどうさばくのか、不安でたまらない。

『寂聴先生、ありがとう。秘書の私が先生のそばで学んだこと、感じたこと』 
瀬尾まなほ著 朝日新聞出版

瀬戸内寂聴さんの現役作家でいることの誇りが綴られています。カワタはまだアラサーで自分の人生の残り時間とか、あまり意識できていないです(20代の頃に比べれば考えるようになりましたが)。正直、まだなめてると思っています。ただ、最近筋トレを始めましたが、20代の頃に比べて身体の変化が少なく(遅く?)、そういう意味では老化を感じています汗。
自分の残りの命を意識する気持ちが芽生えました。日々、自分にとって意味のある時間を過ごす、社会に貢献する、誰かを思いやってみる。カワタは頭でっかちになりやすいタイプなので、まずは行動してみる。シンプルですが、行動あるのみだと思いました。

瀬尾まなほさんの素直でいきいきした文章がとても心地よく、読ませていただきました。
気になる方は、読んでみてはいかがでしょうか。